2009-10-29

雑誌の休刊・廃刊

出版業界もヤバイですね~。
雑誌の休刊・廃刊のニュースが最近目に付きます。

休刊の雑誌一覧 - 富士山マガジンサービスによる
雑誌/休刊一覧(2009年) - 書店員 Wiki* による
2009年度 雑誌 休刊・廃刊情報 - BOOKS ルーエ による

最後の BOOKS ルーエ さんのページには 2004年 から一覧がありますが、なんか 2007年 くらいからすごく増えている気がしますね。気のせいかもしれませんが。

「隔週刊ハリーポッターチェスコレクション」とかは完結ものだろうからわかるけど。

男性誌では 月刊PLAYBOY(昨年の話)、BRIO、Sabra など。
女性誌では Cawaii、PINKY、ChouChou など。
IT系だと DTP WORLD、UNIX MAGAZINE、WindowsServerWorld など。
美容室とかで読むあのデカイ本、STUDIO VOICE も。うーん残念。

2009-10-27

要らないものは要らないと言わなきゃいけない時代

「無垢で子どもらしい」クリプトンの新VOCALOID登場――「Project if...」が始まった - ITmedia

わかっている。一部の人向けのニッチだが重要なニーズということはわかっている。
が・・・・・。

コレもうほんとね・・・、
我々は大人だ。いい加減にしなければならない。要らないものは要らないと言わなければ、情報に押しつぶされる時代だ。かなり憤慨気味に言わせてもらおう。

コレはノーだろう!

どこまで幼児指向が進めば気が済むのか。
我々は既に気づいている。深夜にやるアニメや、秋葉原に氾濫する幼女・少女を主人公にした二次元創作物が、明らかに一部の大人の男性向けに作られていることを。それらが男性の所有欲を源流としていることを。
「顔がプリントされた抱きまくら」のようなグッズが意味するところを。

我々は既にうすうす感じている。このまま進めば、「HENTAI」が日本の主要な産業になってしまうかもしれないことを。

だから冷静な判断が求められている。
大人になろうよ。

僕が偏ってるのかな?

2009-10-25

肉食男の言い訳

いま読んでいる本、フェミニズムに対するバックラッシュの一種であることは否めませんが、男のささやかな言い訳としては一理あるかもしれません。言わんとしていることはわかります。

現時点で私は個々のジェンダーを尊重して乱暴にはまとめないジェンダー・センシティブの考えに賛同しているので、「やっぱ男性社会がいい」的な考えには到底すぐに賛成できるものではありません。同時に「完全に女性社会にすべき」とも思っていませんが。
ジェンダーについて学んでいる人も、たまにはこういう本もいいかもしれませんが、これだけを読むと偏りますので注意してください。

以下の引用などは、まるで女性は尊敬に値しないと言わんばかりで、フェミニストが聞いたら憤慨すると思います。

(前略)このフェミニズムの時代 ─ 金と社会的地位というきわめて男性的な力を手に入れた女たちが、男から尊敬されることを要求し、男を去勢する傾向にある時代 ─ が、同時にかつてないほど女性のファッションが挑発的な時代であることの本当の理由もそこにある。超ミニスカート、胸元あらわなトップ、ストリング、ローヒップのパンツ、ピチピチのジーンズ、アウターにしたセクシーなランジェリーなどなど。まるで男性的なイメージを矯正して埋め合わせ、残されたフェミニンさを強調することで、ズタズタにしてしまった男の性欲をなんとか再生し、おびえる男たちを安心させようと言うかのようだ。メディアの過激な記事やセクシーな下着の氾濫、その昔の性的倒錯に想を得た演出などは、女性が強制する愛と尊敬のせいですっかり萎えてしまった男の性欲を減退から救おうとする試みだろう。
(「女になりたがる男たち」/新潮新書)


まあ、むしろこの言説内では、男たちをおとなしくすることに成功した女たちは、内心ほくそ笑んでいるとは思いますが…。

[posted with iPhone]

2009-10-20

10/18 川越まつり

川越まつりに行ってきました。実は川越自体はじめて。
ちなみに「つばさ」は観てませんでしたので、そっち方面のコメントはできません。。


わー、人多い!


ダシは上の台座が回転します。


あっ、パプリカの世界!


どいたどいたー!

屋台がめちゃくちゃ多かったです。
食べ物には困らない。


あゆとか。


広島焼き的なのとか。
でかい!お昼これにしよう。


うん? ワニつり・・・?


「ワニつり
 ハズレナツ
  300円」

すいません、ほんとすいません。
撮らざるを得なくて。


こういうとこで一杯やるのもいいよね。


古い町並みが一部残っており、風情があります。


古そうな店1


古そうな店2


古そうなそんなでもなさそうな


川越のシンボル、時の鐘。


夜のシルエットってのもいいかもね。


まつりはまだまだ続きます。
むしろ、ハイになってきています。


あっ、お化け屋敷!


見世物地獄!


説明書き:
「爺ちゃん、婆ちゃん
 パパにママ
 ちびっこも安心して楽しめる
 爆笑ライブステージ登場」

このご時世、見世物小屋とはめずらしい。
しかも爆笑ライブステージ。
入らなかったけど・・・。


そんなお化け屋敷と見世物地獄が、
お寺の境内にあるのだ!
ある意味怖い。
異空間。


キツネのお面の踊りの人、うまい。
ただ踊ってるなんてレベルじゃねぇ・・・、
完全に憑依しているッ!

おまけ:


ふ菓子はリュックに入れるのが基本ですよね。

2009-10-17

鬱っぽい社会

まだまとめるには尚早かもしれないと思ったけど、書きたいと思ったときに書くのがブログだと思うので、いつものように中途半端になると思うけど書く。

最近鬱っぽい気分になることがあって、いや最近でもないか元々か。なんというか、鬱っぽい感じになっていることを客観的に認めることができるようになってきて、それは前向きな気分でそれ自体は良くて、このバックグラウンドはなんだろか? といろいろ思考している。
ただ、全然重症ではないと思っていて医者に診てもらう段階ではないとも思っている。こうしてブログに書けるのも重症ではないからだと思う。

まずはともあれ「他の人は普通で自分だけが鬱っぽいのだ」と思うことはやめるべきで、案外みんな口には言わないけど、今週は鬱っぽいなと感じていたり実際に過去にうつ病を経験していたりするものだと思う。案外みんなそんなもんなんだよね。

あと「鬱っぽい感じ」と「うつ病」は分けて考える。一応「うつ病」って病名だから、そこは医者が判断するから。だから鬱っぽかったら「鬱っぽい感じ」、そう気楽に言えばいいと思う。うん。

で、なぜ自分は鬱っぽい感じになってるか、改善のためのベターな手段はなにか、について誰か言ってるのをただ聞かされるのはイヤで、そこを自分で咀嚼して考えるのが好きなので、今後も考えていきたいと思う。というか考えて納得して了解する、というプロセスこそが重要だと思う。あと否定しない。自分を肯定する。しかしプライドの高い男性にはときとして難しい。「ダメな自分を肯定する」「自分を変化させることを恐れず許容する」、これ、少なからず僕も含めて、男性は結構嫌がる。ダメな自分を隠し、自分を断固として守りがち。いわゆる「プライド」「立場」。でもそんなこだわりは早々に捨てる必要がある。でも難しい。でも努力する。

「なんか鬱っぽい感じ」。個人的バックグラウンドと社会的バックグラウンドがある可能性がある。
個人的には、「個性」「主体性」「ありのままの自分」をいままで充分に表明・表現できていなかったかもしれない(とくに幼少時の親との関係の中で)。主体性の形成が不十分だった可能性。これはまだ、あまり鮮明に記憶をたどれていないし「そんな気がする」という段階。これからも思い出しながら考えて行きたいと思う。
(ヒントになった本:『「うつ」になりやすい人』/PHP新書)

社会的バックグラウンドは、ちょうど今読んでいる対談本で、五木寛之さんが「社会が、躁から鬱へと転じてきた」という趣旨をおっしゃっていて、ああなるほど、と思えたことがある。戦後から約50年かけてオリンピックや万博、高度成長のなかで社会全体が躁状態ともいえる状態がつづき、バブルを頂点としてテロや環境問題、金融危機などを通じて社会が鬱の時代へ突入した、だから心を病む人が増えているという考え方は僕にも無理なく了解できる。(IT産業は、思うに、ビョーキな人を生み、漢字の書き方を忘れさせてくれるが、社会全体を躁側に維持するだけの力は実は持ってないんじゃないかとひそかに思っている。)
(ヒントになった本:『鬱の力』/幻冬舎新書)

このところのどんよりした空気や毎日の空回りした感じ、もしあなたがそう感じているとして、それがすべてこの社会のせいだというのは正しくないけれど、ある程度は影響している可能性はある。

それから、答えはないけれど、じゃあどうしたらっていうその先については、二つに分岐するような気がしていて、いま学校に通っている若い人にとっては、この鬱々とした(鬱々としているとされる)社会がデフォルトなわけだから、とりあえずいきなり悩むということはないと思う。若い子達のあのサバサバした感じ、これが当面これからのデフォルトなわけです。

そっちじゃなくて僕がいま思考しているのはおもに自分から上の世代、30歳から上ですが、これ、気をつけないと結構ハマる気がする。だって、結構熱血な人が多いわけじゃん。一旦「鬱っぽい感じ」にはまると、「いや!もっと元気よくイケイケな社会にしなくてはいけない!いままでのように、これからもだ!」という思考になり、さらに空回ってさらに焦ってしまう恐れがある。深みにハマる。

なので多分、「いいじゃん、こんな社会で」ということなんだと思う。これも現状肯定。だってしょうがないじゃん。まあ、力抜いて、この鬱々とした社会を生きようよ。小さな喜びを、素直に喜ぼうよ。っていう許容というか、承認というか、了解。
そういう開き直りが、これから求められるんじゃないかと思うようになりました。

2009-10-07

キテマス2

7日11時


7日21時

2009-10-06

キテマス

6日11時


6日16時


6日22時


by ウェザーニュース タッチ