まとめもせずに取り敢えず書いてみますね。
まず世論というのは選挙がそうであるように数の問題で。あるトピックに対して一番数の多い意見が「常識」であり「正義」ですよね。クジラは頭が良くてかわいいので殺すべきではないし、生態系を守るうえでも保護するべきという意見が世界的な意見であり、調査のため若しくは食用にするために捕鯨するというのは少数意見なので叩かれてもしょうがないと思います。だって少数意見だもの。
うん、クジラは守られるべき動物であり、殺されてもいいのは知的でもかわいくもない動物です。ゴキブリとかね。そういう理屈。すべての生き物は平等ですか? ヒトが他の動物に捕食されても文句は言えません。
しかし主に欧米で過去に燃料油の目的でクジラ乱獲の歴史があり、日本も加担したかもしれませんが、現在の捕鯨は乱獲というほど酷いものとは思いません。クジラが食べてしまう多数の魚たちを守って食物連鎖を調整しているという意見もありますが、それはそれでエゴだと思います。
うーん色々考えさせられます。
次に鯨肉の市場です。日本沿岸での漁業だけでは足りないんだろうか。足りないから調査捕鯨やってるんだろうけど。南極海で日本は調査捕鯨をやっています。商業捕鯨はできないから調査捕鯨をやっている。そしてクジラを殺さない調査もやろうと思えばできるだろうに、あえて年間900頭弱(クロミンククジラ)を標本として捕獲、殺している。なぜかって? それはもちろん、その肉を鯨肉市場に流通させるため。国内における鯨肉市場の大部分は調査捕鯨の副産物(=肉)が占めている。その60億円以上(Wikipedia)にのぼる売上金で、調査費用がまかなわれている。
つまり調査捕鯨の維持と鯨肉市場の維持は表裏一体というわけ。これは捕鯨反対派から「調査とか言ってその実、商業捕鯨じゃん」と激しく突っ込まれている。
冷静に考えてもみれば、そもそも日本が調査捕鯨を行っている海域は、オーストラリアやニュージーランドが領有権を主張する海域の中だ。南極条約により領有権は国際的には認められてはいないものの、国民心理的には「俺たちの領域に勝手に入ってきて調査とは名ばかりの捕鯨を行っている日本」という印象で捉えられてしまうのも当然ではなかろうか。
日本は日本としての権利を主張するのはわかるけど、元来日本人はスジを通し、曲がったことがキライだったはず。(と思ったけど、大本営の隠蔽体質を鑑みるに単にプライドが高いだけなのかも)
僕らが選択できること。それはきっと単純なことで、クジラの肉を食べたいか食べたくないか、はっきりすることだ。誰も食べたいと思わなければ鯨肉は買われなくなり、市場が消え、調査捕鯨の費用がまかなえなくなるはずだ。そんな単純なものじゃないかもしれないけど。
でもさ不思議なのは、年間結構な量の鯨肉がありそうだけど、消費の姿が全然みえないんだよね。伝統料理とかならわかるけど。普段の生活の中で全然見ないし聞かない。大部分はどこで消費されてるのだろうか?