2010-02-25

男性服=スーツ (2)

ファッションの意味合いに関して

男女間の性差がますます広がっていった近代の二世紀の間に、ファッションという言葉が表わす意味も、ごく限定されたものになっていく。男女の装いに関する不公平な常識 ─ 権力を持つ男は厳粛に、目立たぬよう装わねばならぬ、そして女性は個性豊かに装い上げる責任を男性の分まで引受けなければならぬ、という「常識」─ が定着し、ファッションは、男性も女性も程よく同じ態度で興味を示しうるような対象ではなくなった。そして女性の消費者にターゲットを絞った新たな巨大産業としての「ファッション」になってしまったのである。(中略)一方、「メンズ・ファッション」はファッションのなかの一小党派とみなされ、男性服はいわゆる「ファッション」界に直接参加していない。(中略)多くの男性は、(中略)「メンズ・ファッション」を自分たちが着用できると思うどころか、それが自分たちをターゲットにしたものとすら感じていない。「ファッション」とはごく一握りの軽薄な男が関心を寄せるもの、という感覚が一般的だ。

(性とスーツ/白水社 p.17-18)

この形容が今日も当てはまるか定かではないけど、オシャレな男が増えている中で、依然として大半の男は「ファッションなんて俺には関係ないね」と思っているのは多分あってる。

この本まだ途中だけど、著者はスーツはスーツなりにすげーと言っいてる。

男性服=スーツ (1)

(1994年に海外の視点で書かれていることに留意)

(中略)スーツは、十八世紀後半の新古典主義の時代の理想から導きだされた近代の美的原理を反映すると同時に、同じ時代に生まれた近代の民主主義志向を映し出してもいるのである。(中略)柔軟で限りなく多様でありうる永続的な秩序の理想も提示している。

(性とスーツ/白水社 p.15)

新古典主義時代に、テイラード・スーツは、階級を問わず堅気の男がけばけばしい服装をすることは好ましくない、という風潮を決定的にした。同時に、服装による性差を一目瞭然とすることを好ましい風潮として固定した。(中略)新古典主義の時代に、ファッションの分野で大胆に革新をやってのけたのは、女性ではなく男性の方であったのだ。(中略)その後の近代世界のファッションは、何百年というその歴史の中ではじめて、くっきりと別れた二つの軌跡をたどり始める。その二つの軌跡は現代にいたってようやく一本に収束しはじめているところだ。

(性とスーツ/白水社 p.13)

2010-02-23

調査捕鯨終了へ?

沿岸での捕鯨って禁止されてたんですね。失礼。
沿岸捕鯨した上で調査にも行ってると思い込んでた。

日本の沿岸捕鯨再開を容認=海域ごとの捕獲数に上限-IWC議長案 - 時事通信

国際捕鯨委員会(IWC)は22日、こう着状態となっている議論の打開に向け、10年間にわたり海域ごとの毎年の上限を設定して全体の捕鯨頭数を削減する新しい議長提案を公表した。調査捕鯨を停止する一方、日本が求めている沿岸小型捕鯨の再開を容認する内容。3月2~4日に米フロリダで開催されるサポート会合での議論のたたき台とし、6月の総会で合意を目指す。ただ反捕鯨国の反発は必至で、交渉は難航が予想される。

日本沿岸で捕るほうが今の調査捕鯨より全然マシなんじゃない?

2010-02-22

東京スカイツリー(303m / 634m)



2/20(土)、現在建設中で2012年開業予定の東京スカイツリーの様子を見てきました。
同じように様子を見にきた人たちで既に賑わっていました。
早くも観光名所化しています。

とりあえず根元からドーンと見たい人は押上駅、遠巻きに全体を眺めたい人は浅草駅の吾妻橋あたりからがいいんじゃないかと思います。
私は押上駅から川沿いに浅草駅まで歩きました。

只今単焦点の修行中につき、50mm(APS-Cで80mm前後)1本のみ。


現在:303メートル。


根元の部分。


エレベーターの部分。






源森橋から。
ああ、広角ももっていけばよかった・・・


こんな感じでみんな写真撮りまくり。
おじさんの反り具合がいいね。


枕橋から。
ここまで離れて80mmの私にとっては収まりがいいです。


鳩が寒そうです。


あ、ここは通称ウンコビルのところの広場です。


吾妻橋から。
もう日が沈みます。


写真愛好家のおじさん(いい人)と立ち話。
本当はプリントまでやって写真なんですよね~。
私なんかプリントしないし、全然まだまだっす、勉強中っス。

おまけ:


このでかい提灯って中から光らないのか~
光ってほしいなー。

2010-02-21

捕鯨問題

まとめもせずに取り敢えず書いてみますね。

まず世論というのは選挙がそうであるように数の問題で。あるトピックに対して一番数の多い意見が「常識」であり「正義」ですよね。クジラは頭が良くてかわいいので殺すべきではないし、生態系を守るうえでも保護するべきという意見が世界的な意見であり、調査のため若しくは食用にするために捕鯨するというのは少数意見なので叩かれてもしょうがないと思います。だって少数意見だもの。
うん、クジラは守られるべき動物であり、殺されてもいいのは知的でもかわいくもない動物です。ゴキブリとかね。そういう理屈。すべての生き物は平等ですか? ヒトが他の動物に捕食されても文句は言えません。

しかし主に欧米で過去に燃料油の目的でクジラ乱獲の歴史があり、日本も加担したかもしれませんが、現在の捕鯨は乱獲というほど酷いものとは思いません。クジラが食べてしまう多数の魚たちを守って食物連鎖を調整しているという意見もありますが、それはそれでエゴだと思います。
うーん色々考えさせられます。

次に鯨肉の市場です。日本沿岸での漁業だけでは足りないんだろうか。足りないから調査捕鯨やってるんだろうけど。南極海で日本は調査捕鯨をやっています。商業捕鯨はできないから調査捕鯨をやっている。そしてクジラを殺さない調査もやろうと思えばできるだろうに、あえて年間900頭弱(クロミンククジラ)を標本として捕獲、殺している。なぜかって? それはもちろん、その肉を鯨肉市場に流通させるため。国内における鯨肉市場の大部分は調査捕鯨の副産物(=肉)が占めている。その60億円以上(Wikipedia)にのぼる売上金で、調査費用がまかなわれている。

つまり調査捕鯨の維持と鯨肉市場の維持は表裏一体というわけ。これは捕鯨反対派から「調査とか言ってその実、商業捕鯨じゃん」と激しく突っ込まれている。

冷静に考えてもみれば、そもそも日本が調査捕鯨を行っている海域は、オーストラリアやニュージーランドが領有権を主張する海域の中だ。南極条約により領有権は国際的には認められてはいないものの、国民心理的には「俺たちの領域に勝手に入ってきて調査とは名ばかりの捕鯨を行っている日本」という印象で捉えられてしまうのも当然ではなかろうか。

日本は日本としての権利を主張するのはわかるけど、元来日本人はスジを通し、曲がったことがキライだったはず。(と思ったけど、大本営の隠蔽体質を鑑みるに単にプライドが高いだけなのかも)

僕らが選択できること。それはきっと単純なことで、クジラの肉を食べたいか食べたくないか、はっきりすることだ。誰も食べたいと思わなければ鯨肉は買われなくなり、市場が消え、調査捕鯨の費用がまかなえなくなるはずだ。そんな単純なものじゃないかもしれないけど。

でもさ不思議なのは、年間結構な量の鯨肉がありそうだけど、消費の姿が全然みえないんだよね。伝統料理とかならわかるけど。普段の生活の中で全然見ないし聞かない。大部分はどこで消費されてるのだろうか?

2010-02-07

喰いつくせ!!


喰いつくせ!!


YOUはSHOCK!!


ずくそこ。

追伸

久しぶりに「YOUはSHOCK!!」を聴きたくなり
検索したら・・・なんだこれは。

2010-02-02

FUTOKUNOITASUTOKORO

小沢氏の問答とか結構面白く見てるんですけど。
最近単なる祭りを超えるムーブメントが起きないのはなぜか?

[仮説]

1.ムネオハウスに匹敵するインパクトを持った事件がないから
2.住人がスルー力を身につけたから
3.ムーブメントは起きているが、メディアがスルー力を身につけた
4.検挙を恐れて自重している
5.住人の少子化または平均年齢の上昇によって Rock な人が居なくなった
6.草食系の功罪
7.Flash のようなリッチコンテンツがありふれたものとなり、二次創作やマッシュアップの魅力や意欲が低下した
8.ムーブメントは起きているが、別次元で起きているため、認識できない

2010-02-01

雪~


渋谷(降り始め)