2011-02-27

空気

先日、21時~「TAROの塔(1)」、24時~「今夜も生でさだまさし」、さらにその後「日本人はなぜ戦争へと向かったのか(再)」の途中まで、と番組を立て続けに見たせいかどうか、、頭の中がグルグルして朝起きました。

番組自体は面白かったんですけどね、番組中で所々しみだしてくる無意識的なものを考えていました。あれです、日本人ってやつです。

「TAROの塔」では岡本太郎さんの弾けっぷりが凄かったですね。私は私自身の考えにおいて正しいと判断し、表現する。なかなか日本でできることではありません。私たちはついつい場の「空気」を読んでしまうからです。

「生さだ」で思ったのはワイドショーのくだりですね。よくいわれる報道番組の煽動性。これについてはNHKも気をつけてほしいものです。まずソースは客観的に正しいものを、他局が言ったとかではなく極力自分自身で。報道する際には勝手に世論を想定するのではなく、キャスター1:「私は個人的にこう思います。」キャスター2:「私は個人的にそうは思いません。皆さんはどう思われますか?」という個人的意見かつ中立スタンスで。
報道番組自身が、ついつい世論の「空気」を読んでしまいがちです。

「日本人はなぜ戦争へ~」は途中まで見て寝てしまったんですが、第二次世界大戦への道を歩む分岐点となった国際連盟脱退の流れを見て、確信しました。日本人的性質は昔から現在に到るまで綿々と受け継がれており、おそらく今後も当分変わらないだろうと。
当時から、確たるアイデンティティ(私は私自身の考えにおいて正しいと判断し、表現する)をもっておらず、重要な局面を場の「空気」にまかせて判断していたのですね。

それより以前からもそうだと思うので、これはもう「日本のアイデンティティとはそういうものだ」と思いたくなってしまいます。内容可変であり、スタンス不変。

それを裏付けるのが『日本辺境論』(新潮新書)ですね。全部了解したわけではないですけど、大筋了解しました。日本の心理的基盤(帰るところ)なんて元からないんだよということですね。なので内と外を比較し、安心するために空気を読む。

「他国との比較の中でしか、日本を語れない。良い悪いではなくて、本態的にそういう国だということ。」(同)

ということなんですよね。

しかし日本人的日本人が成立する条件には別途興味があります。
個人的なビヘイビアは幾通りも存在するでしょ?
どのような条件下で日本人的振舞いが立ち現れるのかな。