2010-10-23

父への手紙 (2)

問題を難しくしているのは従来型の成長戦略の継続では明らかに行き詰まる点であり、各国の経済状況が劇的に変貌する中、一部企業を除いていまだグローバルマーケットに本格参入しようとしない日本は、新たな基本的価値観とクレバーな策をもって立ち回らない限り、今後の成長は望めません。
むしろ、これは単純な選択肢なのです。ここから経済をさらに発展させるには、日本人自らの価値観をグローバル化する。いままで通り国内マーケットに甘んずるのなら、経済発展は打ち止め、あとは緩やかに後退。それが潔しとする価値観。
国は法人と同じで個人の集合体ですから、個人個人の意思が重要です。
私は心のなかで揺れています。どちらを望むかといえばどちらも望んでしまいます。今後も世界をリードする国であって欲しいが、「日本らしさ」、日本の体裁みたいなものを考えるとき、もう身の丈までには成長できたのではないか?とも思ってしまいます。

どちらの道でもそれなりの幸せのあり方というものが有るでしょう。今までどの時代を切り取ってみても、その時代なりの幸せがあったのですから。ただ、これほどに変化の激しい時代はかつて無いでしょう。このような時代では、完全な人生設計をし、それに固執する様な生き方はむしろ脆弱です。求められるのは、今まで常識とされた価値観さえも任意の時点で躊躇なく変更できるような、身軽でフレキシブルな生き方です。確たる自分のアイデンティティを内包しながらも、その外的表現を時代時代の文脈に沿ったかたちで適切に再表現しなおせる、ラディカルかつドラスティックな生き方です。私はこのような生き方を目指しています。

以下に幾つかの項目で私が思うことを書き連ねてみましたので、もしよろしければ読んでみてください。これらは現時点での考えであり、今後変わっていくことはもちろんあると思います。

■地域

長らく地方は過疎化によりどこも経済的に疲弊し、「シャッター通り」などと寂しげに呼ばれてきましたが、その反動か、ここ数年は宮崎県が知事自ら体現するように、観光や特産品、地方限定イベント(アニメの舞台という理由で呼び込んだり)などによる町おこしが盛んで、実際、非常に活気があるとききます。活気がないのはむしろ大都市です。財政や政治機能分散の話も含め、これからは暮らしのあり方が都市集中型から地方分散型へ戻っていくのではないでしょうか。賃金格差はまだありますが、「都会に住むことがステータス」という価値観も将来は意味を持たなくなるでしょう。

■地球環境

日本は少子高齢化・人口減ですが、世界の人口は今年2010年で 68億人 、2050年で 91億人 を突破しそうな勢い(国連予測値)で、特に中国とインドがだんとつです。この人口を養うだけの食料が将来地球上にあるか疑問です。難しい問題ですが、個人的には日本に限って考えても、人口に対する根本的な食料不足・輸入依存を鑑みるに、日本人口は単純に「もう充分多い」と思います。経済の根源には、余剰生産した食料を集団同士が取引しあうところにあると思います。将来、世界的な食料の取り合いになるでしょう。輸入依存の現状から今後数十年の間に少しでも自給率を上げていかなければ危機的状況に陥ると思います。

温室効果ガスの増大に端を発する地球温暖化は、単純な温度上昇ではなく、世界の気候に不安定さをもたらします。あちらでは記録的な猛暑、こちらでは記録的な冷夏といった具合に地球のあちこちを軋ませながら、平均として温度上昇しています。短期の目で見れば極端な天候による干ばつや強力な台風の被害で土地や農作物に甚大な被害が出ますが、長期的に見て心配なのが、地域の気候がまるでシフトしてしまい、相互依存の生態系が崩れてしまうことや、蚊などの伝染病を媒介する虫が生息可能になり、日本でマラリアなどが大流行するといったような事態です。特定の伝染病の免疫を持たない集団に外部から意図せず病原菌が持ち込まれた際の無惨な結果は、古くから人類史が物語っています。

化石燃料などの有限資源から、太陽光、風力、水力、バイオ燃料などの循環型エネルギーへの転換はいうまでもありません。ただしバイオ燃料は燃料用農作物のパイを食用と取り合ってしまうことや、生産過程で使用される化石燃料の程度に疑問が残るのはご存知のことと思います。

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